石井丈裕の登板に観客が「えー?」。早実・荒木大輔の控えはツラいよ... (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 早実のグラウンドにも、毎日のように何百人単位の女の子が来て、ずらーっと並んで練習を見ていました。僕は「ここには入らないでください」と注意する係でしたね。

 僕もピッチャーだったから、大輔と一緒に走るわけですよ。すると女の子がパチっと写真を撮った後に「あ~、あの人も入っちゃった......」と言う。"あの人"っていうのが僕で、完全な邪魔者扱い。いたいけな高校生にとってはキツかったですけど、しょうがないよなと割り切っていました。一緒に練習してるけど、大輔は別次元の人。僕らが同じように騒がれることなんか考えられなかった。

 招待試合で呼ばれて僕が登板することがあった時なんかは、「早稲田実業のピッチャーは石井くん」とアナウンスされたら「えーっ」と観客みんなに言われました。あれはショックでヘコみましたね。
 
 そんな中でも、大輔は全然顔色を変えない。まるで、女の子がそこにいないみたいに。僕たちには気を使っていたんでしょうね。平然と練習をすることにも驚いたけど、まわりの人間に気を配れるのがすごいと思った。僕がその立場だったら絶対に無理。大輔だけじゃなくて小沢も人気があったんですが、同期はみんな仲がよかったので、彼らが浮くということはありませんでした。

 1年の夏に甲子園デビューした荒木はその後、右ヒジと腰を痛めた。しかし、ケガと戦いながらマウンドに上がり続けた。

 早実のエースの看板をずっと守り続けたのは大輔で、僕が登板するのは大差がついた試合の終盤だけ。大輔はほとんどの試合に先発しましたから、ケガもするはずです。だから、プロに入ってからヒジを手術することになってしまいました。

 大輔や小沢がいるからといって、1年の夏から5回連続で甲子園に出られるとは思っていませんでした。正直言って、早実はそんなに厳しい練習をしていたわけではありません。強豪校と言われていた高校と比べたら全然。練習量はおそらく半分以下だったでしょう。それでも、甲子園に出場できるチャンスをすべてモノにできたのは荒木大輔のおかげですね、間違いなく。

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