石井丈裕の登板に観客が「えー?」。早実・荒木大輔の控えはツラいよ... (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 大輔は1年夏の東東京大会でマウンドに上がりましたが、高校に入ったばかりの僕には相手の選手が高校生なのに大人に見えました。そういう人たちに堂々と立ち向かう姿を見て、ただただすごいと感じていました。「度胸があるなあ」と感心するばかりで。

 1年生の夏の甲子園のピッチングを見て、とてもかなわないと思いましたよ。でも、大輔ひとりでは(翌年以降に)甲子園に行けないだろうから、自分が少しでも手助けできればという感じでした。

 甲子園でベンチ入りしたメンバーの中には、大輔のほかに1年生では小沢章一と黒柳知至がいました。このふたりの存在は大きな支えになったんじゃないかと思います。甲子園の試合はアルプススタンドで見ていましたが、まったく負ける気はしなかった。

 今よりもはるかに上下関係が厳しかった時代。1年生が上級生にまじって堂々とプレーすることは難しかった。だが、早稲田実業に流れる自由な空気が1年生エースの実力を発揮させる助けとなった。荒木自身は「みんなで楽しく野球をしていただけ」と語っている。

「もちろん、それなりの上下関係はありました。でも、先輩に恵まれたというのは確かでしょう。いびりやいじめのようなものはありませんでした。上級生もチームが勝つことを考えていたのだと思います」

 大輔は1年生で甲子園の準優勝投手になりましたが、それを鼻にかけるようなことはまったくなかった。リトルリーグ時代から騒がれる選手でしたけど、敵はいなかったと思います。

 甲子園から帰った後の騒がれ方はすごくて、電車に乗る時には同期が囲んで守っていました。女子対策というのもあったけど、他校の生徒に絡まれることがあったら大変だし。

 大輔がかわいそうだなと思ったのは、普通のことができないこと。僕たちもたまに繁華街に行くこともありましたが、彼がいるとすぐにバレて大騒ぎになる。女の子がたくさん集まってきちゃいますから。一緒にゲームセンターに行ったかどうかは覚えていないけど、インベーダーゲームとか、ギャラクシーゲームなんかがあった頃です。でも、大輔は普通の高校生がすることも難しかった。息抜きもできなくて、かわいそうだった。

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