2018.04.21

ライバルが見た荒木大輔の早実は
「何かに守られているように強かった」

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 でも、早実であれば小さな問題が起きてもチーム内で消化できていたのかもしれません。頭がいい早実の選手たちは、自分の役割をわきまえていたように思えます。そうじゃなかったら、監督に何を言われても「大輔を守ってやろう」とは考えない。自分の身の丈がわかっていて、それぞれの役割をきっちりと果たしていたから、メンバーが入れ替わっても強さを維持できたんだと思います。

 主役は大輔に任せて、ほかの選手が脇役に徹したからこそ、あのときの早実は強かったんでしょうね。

 荒木を擁する早実は甲子園に5回連続で出場し、常に優勝候補に挙げられながら、日本一にはなれなかった。彼らの本当の強さは甲子園では見られなかった。荒木が残した成績は12勝5敗。甲子園で5度も敗戦投手になったのは、長い歴史の中でも荒木ひとりだけだ。

 甲子園での早実に、僕は興味がありませんでした。東京の予選を戦っている彼らが、「本当の早実」だと思っていたからです。

 僕は高校卒業後に日本大学に進んだんですが、同じチームに甲子園で大輔と対戦した選手がいました。そいつに「どうして早実を5回も甲子園に行かせたの? 荒木は大したことないじゃないか」と言われたときにはカチンときましたね。「じゃあ、東京で早実に勝ってみろよ」と。

 控え投手には、大輔と同学年に石井丈裕(早実→法政大学→プリンスホテル→西武ライオンズなど)もいましたけど、基本的に投げるのは大輔だけ。機動力を使うわけじゃないし、打線に特別な破壊力があるわけじゃない。でも、王者は常に早実でした。

 だから、東京の高校の野球部員は「荒木に勝ちたい」「早実を倒したい」と誰もが思っていたはずです。ある大会では、僕らに負けたチームの選手たちに囲まれて「次、荒木に負けんじゃねーぞ」と言われたこともあるくらいです。

 桑田真澄と清原和博がいたPL学園も、1983年の夏から5回連続で甲子園に出ましたが、彼らがそうなったのは理解できる。力づくで甲子園に出られるだけの圧倒的な戦力がありましたからね。