クロマティに殴られた男・宮下昌己が語る地元中学の同級生・荒木大輔 (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro

 中学卒業後、荒木大輔は早稲田実業、宮下は日大三と別々の道を進んだ。当時、早稲田実業は東東京、日大三は西東京で夏の都大会を戦っていた。近くて、遠い存在だった。

 日大三は地方に招待されることが多くて、東京の高校と練習試合をすることはほとんどなかったんですが、一度だけ早実とオープン戦をやりましたね。こっちは1年坊主のペーペーで、雑用をしながら「あ、大輔、来てるんだ」と思って見ていました。まだエースではなかったですけど、バッティングもそこそこよかったですからね。

 そのときにすれ違って、「頑張ってる?」と話したのが、高校時代の唯一の接点です。東京でも東地区と西地区に分かれていたので、会うことはありませんでした。こちらはずっと寮生活でしたし。

 1年夏の東東京大会でベンチ入りしてると聞いても「ああ、大輔ならやるだろうな」と思いました。「やっぱりすごいヤツなんだな」と。あの夏の甲子園の活躍もテレビで見ましたよ。

甲子園が終わった後、1年秋の東京大会で日大三と早稲田実業が対戦した試合を、オレはネット裏で見ていました。センバツの出場権のかかった試合だったんですが、あっさりやられました。

 オレたちの打線は強力だったのに、まったく歯が立たない。かろうじてバッティングになっていたのが福王昭仁さん(日大三→明治大学→読売ジャイアンツ)くらい。大輔の球種はストレートとカーブの2種類だけでしたが、手も足も出なかった。

 とにかく、コントロールがすごかったです。「高校生でこんなピッチャーがいるのか」「これじゃ、打てない」と思いました。コースの出し入れで勝負するタイプで、ストレートもカーブもきっちりコーナーに決まる。一段とレベルを上げたなと感心しながら、その投球を見ていました。

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