勝負勘は「鈍っとる」。71歳名将が大阪桐蔭にリベンジする日はくるか (2ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

「甲子園には出てきとるけど、上での戦いをしてない。それがこういうところに出る」

 春1回、夏2回の優勝を誇る名門も、近年は2008年夏のベスト8が最高だった。初戦敗退が07年夏、10年夏、12年夏、14年春、15年夏と5度もある。甲子園でしびれるような試合をしていない影響が、甲子園最多勝監督の"勝負勘"を知らず知らずのうちに鈍らせていたのだ。

 71歳になり、高嶋監督の日課だった高野山参りもドクターストップがかかった。体力の衰えは隠せないが、勝利への執念は衰えてはいなかった。

今春のセンバツは準々決勝の創成館戦、準決勝の東海大相模戦で史上初となる2試合連続5点差以上の逆転勝ち。「監督のしぶとさが選手に乗り移ってくれた」と笑いながらも、大量失点した試合中は「やることをやってないからや!」と大声で捕手の東妻(あずま)純平に怒鳴り声を上げた。

「カリカリきとっても(テレビカメラが)アップでくるんで、あまり(感情を)出せない。ベンチの中に入ったら怒ってます(笑)」

 そう話すように普段はテレビカメラに抜かれることを意識する高嶋監督が、ベンチからスタンドに響きわたる声で叱責した姿はまさに勝負の鬼。一時代を築いた全盛期を思い起こさせるものだった。

 決勝という最高の舞台で巡ってきた大阪桐蔭との一戦。相手のミスから先制し、終盤勝負に持ち込むことはできたが、守備のミスが出るなどして、またも勝てなかった。高嶋監督は「めいっぱいでここまで上がってきた。優勝するための戦力が整ってなかった」と、さばさばした表情で語る一方で、大きな悔いもあった。

 ひとつはスタメン野手の変更だ。準決勝までは根来塁が7番でスタメン出場していたが、この日は前日に180球を投げたエース・平田龍輝の疲労を考慮して、根来は控え投手として待機。代わりにセカンドで高瀬宗一郎を起用した。

 だが高瀬は4回表、無死満塁のチャンスで投手ゴロ併殺打。その裏の無死満塁のピンチでは併殺コースの打球でショートからの送球をセカンドで落球。いずれも試合の流れを決めるポイントとなってしまった。高嶋監督が振り返る。

「そのへんが分かれ目。全部裏目に出ましたね」

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