センバツ初出場の府立・乙訓高校の
選手が「強豪校にビビらない」暗示

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

 最初はボールも触らせてもらえなかった市川監督だったが、1年の秋、新チームになって最初の練習試合で、いきなり3本のヒットを打つことができた。軟式出身というコンプレックスが抜け切らなかった中での3安打は、ささやかでも確固たる自信になったのだという。やがて市川監督は鳥羽でレギュラーポジションを獲り、キャプテンを任され、甲子園へのカベを乗り越えていくことになる。

「そこは、やっぱりチームメイトに負けたくないという気持ちが力になったんだと思います。ただ、やたらと量をやる練習はしませんでしたね。母によく言われましたよ。『アンタみたいに家帰ってきて素振りも何もせえへんもんがキャプテンして、なんで甲子園に出れんねん』って(笑)。

 でも僕は全体練習で精一杯やってるのに、プラスアルファの練習なんて自己満足ちゃうかと思っていたんです。200も300も素振りしたと言ってる練習の中身はどうやねんって。ムダな労力と時間を使って練習しても身につかない。同じ練習をするにしても、考えて練習するもんと、そうじゃないもんで絶対に差がつく。そういうことの積み重ねが甲子園につながったんじゃないかと思っているんです」

 高校を卒業した市川監督は京都教育大へ入学。卒業後、保健体育科の教諭として赴任した北稜の野球部で2005年から10年間、監督を務めた。そして2015年、乙訓に移り、監督に就任。わずか2年で乙訓を初めての甲子園へと導いたのである。

「(北稜の監督時代から)乙訓は能力の高い子が多いなと思ってました。打つことに長けた子とか、肩がメチャクチャ強いキャッチャーとか、個性の強い子が多くて、それは末常先生が子どもらを型にはめずに先を見据える方だったということも大きかったと思います。能力は高いけど雑っていうんですかね。ですから以前の乙訓は、私学の強豪の平安さんとか立命館宇治さんが嫌がるチームだったと思います。自分が監督をすることになって、まずそういう子たちにこそ、丁寧さと考える力を身につけさせたいと考えました」

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