センバツ初出場の府立・乙訓高校の選手が「強豪校にビビらない」暗示 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

「以前の京都は高校進学に際しては地区ごとに分けられていて、行きたい高校があってもその区域に住んでいなければ行けなかったんですけど、4年前から全県1区になりましてね。ウチの高校も長岡京の子ばかりじゃなくなってるので、選手たちにそういう意地はないと思いますよ(苦笑)。

 ただ、僕は京都市内の桂という、嵐山の方の出身なんですけど、こちらに来てみて、地元の方々には京都市への対抗意識があるのかなと感じることはあります。就職先を見ても、京都や大阪ではなく地元に残る子も多いですし......だから、昔の乙訓から応援しているとおっしゃる方も多いんです。そういう方々には、京都で乙訓が勝ったということには特別な意味があるのかもしれません。昔はけっこう、やんちゃな学校だったんですけど、スポーツ健康科学科ができてイメージはガラッと変わったと思います」

 公立高校ながら京都府内で初にして唯一の体育系専門学科を持ち、そこの生徒はスポーツへの科学的なアプローチを多角的に学んでいる。野球部が使うグラウンドは両翼102メートル、中堅124メートルもあって、外野は天然芝、内野は黒土。すぐ隣には6か所で打撃練習ができる室内練習場もあり、私学顔負けの抜群の環境が整っている。市川監督はこう続けた。

「ここらあたりは昔、競馬場だったというふうに聞いていますし、その分、敷地はすごく広いんですよ。僕の前任の監督だった末常(拓司)先生が、学校全体の取り組みとしてお金をかけずに芝を植える方法を聞きつけて実践されたそうで、今、25~26歳くらいのOBたちが現役のとき、ポット苗を1個ずつポンポンポンポンと植えて、丹念に育ててくれたらしいんです。そういう歴史が今につながってるんですね」

 市川監督は高校時代、京都府立・鳥羽高校でキャプテンを務め、センターを守るトップバッターだった。しかも、3年のときには春夏連続で甲子園出場を果たしている(2000年)。ベスト4まで勝ち上がったセンバツは53年ぶり、夏は54年ぶりの出場で、つまり市川監督は高校生のときにも、京都の名だたる甲子園常連校を打ち破ったことになる。

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