センバツ注目の二刀流・大谷拓海は、大谷翔平のことより「打倒・明徳」 (2ページ目)

  • 松本英資●文 text by Matsumoto Hidesuke
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

「高校に入ったら野手ではなく、投手になりたいと決めていました。中央学院の指導者の方は高校時代に投手経験があることを聞かされて、ここに入れば投手として成長できるかもしれないという期待を込めて選びました」

 その選択は正しかった。中央学院は甲子園出場経験こそないが、野球大国の千葉にあって毎年のように上位進出し、プロ野球選手も出るなど強豪校として知られている。

 入学後、大谷は投手として順調に成長を遂げ、1年秋に頭角を現す。秋季千葉県大会で準優勝して関東大会に駒を進めると、初戦の市川(山梨)戦に先発し、9回途中まで相手打線をノーヒット・ノーランに抑える好投を披露。一躍、注目を集める存在となった。

 だが続く準々決勝では、その年の夏全国制覇を達成した作新学院(栃木)1-9と屈辱的な7回コールド負け。大谷が振り返る。

「僕の野球人生で一番つらい思い出です。あと1つ勝てば(センバツで)甲子園出場が決定的だったのに、負けてしまった。作新学院に負けた悔しい思いは、いまだ忘れられません」

 この敗戦を機に"野球の神様"から見放されてしまったかのように、茨の道が続く。2年春と夏の県大会はともに初戦敗退を喫してしまった。

「昨年の春と夏、続けて初戦敗退したのは冬場の練習が原因で、しっかりと自分自身を追い込んで練習しなかったからです。エースとしての自覚を欠いてしまって......鍛え方が足りなかった」

 そして迎えた2年秋。前年に続き、千葉県大会で準優勝を果たし、関東大会に進出。初戦で花咲徳栄(埼玉)を破ると勢いに乗り、その後も甲子園常連校を次々と撃破。決勝でも明秀日立(茨城)に6-5と競り勝ち、関東大会初優勝を飾った。

「関東大会で頂点に勝てたことが、17年間の人生で一番嬉しかった」

 ちょうど1年前の関東大会で、あと一歩のところで甲子園を逃した苦い思いを経験したからこそ、初優勝の喜びも人一倍だったのかもしれない。

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