「浜高の野球で勝て」。兄の想いを胸に、
和田毅の弟が古豪復活に挑む

  • 井上幸太●文・写真 text&photo by Inoue Kota

 まだベンチ外の高校1年夏(1999年)にチームは甲子園出場を果たしたものの、自身は高校時代に甲子園の土を踏むことは叶わず。東京六大学野球への憧れ、1年間在学期間が重なる兄・毅(早稲田大)と神宮の舞台で対戦したいという思いもあり、卒業後は立教大に進む。おぼろげながらも「高校野球の指導者」になることをイメージしての進学でもあった。

「高校3年のときの担任の先生がすごく熱心な方で、その姿を見て教員もいいなと思っていました。それと、父親が抱いていた夢がプロ野球選手と高校野球の監督だったんです。兄貴がプロに進むので、僕がもうひとつの夢を叶えたいという思いもありました」

 立教大では内外野両方を守れる選手として奮闘していたが、足首の故障の影響もあり、大学3年の夏からは学生コーチに転身。選手時代とは異なる形でチームと関わるようになり、より指導者になることを意識するようになっていった。

 大学卒業時に社会科の教員免許を取得したものの、「高校時代、世界史が好きで社会の免許を取ったんですが、『好き』と『教える』は違うなと思った面もあって。自分が実際に教えるなら体育だと」と大学卒業後に、立教大、日本体育大の科目等履修生として通学し、保健体育科の免許を取得。現在も保健体育科教諭として教鞭(きょうべん)を執っている。

 高校野球の指導者となったのが2008年。講師として赴任した松江商高で監督に就任したことがキャリアのスタートだった。そこから講師として4年、教員採用試験を突破し、教員となってから4年。計8年間監督を務めた後、母校への異動となった。赴任が決定した当初の心境をこう振り返る。

2 / 8

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る