イップス地獄から世界へ。元高校球児がライフセービングで見つけた道 (2ページ目)

  • 高橋博之●文 text by Takahashi Hiroyuki

「とにかく行かないとはじまらないという気持ちだけでした。現地でアルバイトをしながらアポイントを取って、ようやく練習に参加できました。最初はスタートに大変な差がありましたが、サイモンのスタートを繰り返し見て、少しずつ自分の技術に応用していきました。最後は差がほとんどないところまでスタートを自分のものにできましたよ」

 修行の仕上げに和田はオーストラリアの州大会に出場した。そこでサイモンを破り、さらに全豪選手権へも出場して準優勝した。スタートを追求するために海外まできて学び、結果も出せた。しかし、和田は達成感を得る一方で足りない部分も見えていた。

「全豪選手権で他の選手に勝っていたのはサイモンの元で吸収したスタートだけ。スプリント能力は完全に劣っていて、ギリギリの準優勝でした。展開次第では前年の8位より悪い結果もあったかもしれない。世界一をとるために次はスピードを追求しようと思いました」

 2014年シーズン後、和田はジャマイカにある「レーサーズ・トラッククラブ」へ留学した。ウサイン・ボルトも所属していたことで有名な世界有数の陸上競技クラブだ。

「300m×10本などのメニューも厳しいですが、とにかく設定タイムが速いです。最初の頃は100mくらい遅れていました。それでも食らいつく間に差は徐々に縮まりました。技術以外でも世界最高のところだからこそ学べることは多かったと思います」

 ジャマイカから帰国した2015年のシーズン、和田は欧州選手権で優勝した。そして今年は全日本種目別選手権でビーチスプリントも準優勝し、国際大会のサンヨーカップではビーチリレーで準優勝した。もちろん両大会ともビーチフラッグスでは優勝している。

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