町の野球少年がドラフト上位候補へ。名将と歩んだ本田仁海の3年間 (3ページ目)

  • 高橋博之●文 text by Takahashi Hiroyuki
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 本田は野球を始めたときからずっとスリークォーターで投げていた。誰からも変えろと言われたことがなかったし、本田自身もスリークォーターに違和感を持ったことはない。ところが土屋監督に言われるままにオーバースローを試すと、スーッと体を動かせた。細かいポイントを確認したあと、試しにボールを持って投げてみた。今まで感じたことのない感触でボールが手元を離れ、強く鋭いボールが捕手のミットに吸い込まれた。

「どうだ、いい感じじゃないか。これからはオーバースローで勝負しよう」

 すぐにオーバースローをものにした本田は、2年春にエース番号を獲得し、夏には創部初の4回戦進出に貢献した。さらに秋はベスト8、ストレートの最速も146キロにまで達した。その頃になると、全国のエリート選手たちに交じり、まったく無名だった本田の名もドラフト候補として知れ渡るようになった。

 その評価を不動のものにしたのが春季県大会の準々決勝だった。昨夏県大会を準優勝、昨秋県大会を制覇した慶應義塾高を3-1で下したのだ。本田は6安打1失点11奪三振という快投を披露。その日、ネット裏には20人以上のスカウトたちが集結していた。

 しかし準決勝は連戦で疲労もあったのか、横浜高校に0-10で敗れた。秋に続いての大敗で、最後の夏は打倒横浜高校を目指したが、そこにたどり着く前に敗れた。

 昨年より少し長い夏休みも終わった9月、夏と変わらない体で本田は遠投を繰り返していた。ライトポール際から本田がボールを投げると、ホームベース後方まで、決められた軌跡をなぞるかのようにボールがやってくる。それを1年のときから本田のボールを受け続けた捕手の田島大輔が捕球した。ミットはまったく動かない。

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