自らを鼓舞する「清宮語録」に見る、1年生からプロ決断までの2年半 (3ページ目)

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • 内ヶ崎誠之助●写真 photo by Uchigasaki Seinosuke

 直後に1年生で唯一選出されたU18W杯では、高校日本代表の4番を任されるも、27打数6安打。決勝までの8試合を無敗で勝ち進んだチームにあって、打点はわずか2、本塁打はゼロ。5割近い打率を残し、2本塁打(8打点)を放った選手権大会の活躍からすれば、物足りない数字だった。チームも初の世界一をあと一歩のところで逃した。

「なんの力にもなれなかった。世界との差を感じたとか、自分が及ばなかったとか、そういうわけじゃないですけど、4番としての仕事、チームの中心となって打線を引っ張ることができないと、こういう結果になってしまう。4番の責任というものを重く感じました」

 そしてリベンジを誓った。

「もうこんな思いはしたくない。高校野球を頑張って、(次回のカナダ大会が開催される)2年後にもう一度選んでいただいて、リベンジを果たしたい」

 その後はおよそ1年半、甲子園から遠ざかった。2年夏は西東京大会の準々決勝で八王子に4対6と惜敗し、「野球の怖さを知りました」。

 敗戦の直後、清宮は自ら主将に志願した。新チームが発足すれば「GO! GO! GO!」をチームスローガンに掲げた。すると昨秋、東京大会決勝の日大三戦では2点リードされた9回裏に、清宮の後ろを打つ4番・野村大樹のサヨナラ本塁打が飛び出し、翌年春のセンバツ出場を確実なものとした。

 さらに春季東京大会、同じ日大三戦では、4点をリードされた9回裏に、清宮の同点3ランで追いつき、延長12回を戦って1817で勝利した。とりわけ3年生になってからは、こういう終盤に試合をひっくり返すような展開が続いた。その要因を清宮は次のように説明した。

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