広陵・中村奨成も届かなかった最高打率。29年前の達成者が語る心情 (2ページ目)

  • 加来慶祐●文 text by Kaku Keisuke
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 古閑の記録は、1988年の夏に打ち立てられた。

 チームメイトでエースの川崎憲次郎(元ヤクルトほか)とともに春夏連続ベスト8入りに貢献し、夏の大会後には全日本選抜にも名を連ねた左の強打者だ。リストの柔らかさを生かして広角に打ち分け、高校通算30本塁打超と長打力も兼ね備えていた。高校全日本でも江の川(現・石見智翠館/島根)の主砲・谷繁元信(元中日ほか)と交互に4番を打つほどだった。

 大会記録として認められるのは、1978年までは準決勝に進出したチームの選手に限られていたが、79年以降はベスト8以上のチームの選手が対象となった。このルールに基づけば、たとえば10打数10安打でもベスト8に進出しなければ大会記録にはならない。

 古閑の津久見は、2回戦から登場し、札幌開成(南北海道)、大垣商(岐阜)を破りベスト8に進出したが、準々決勝で広島商に敗れた。

 古閑は初戦から4打数3安打(1本塁打)、3打数2安打、4打数3安打と打ちまくり、通算11打数8安打。中村がこの夏の甲子園で記録した28打数19安打と比べると物足りなさを感じてしまうが、ベスト8以上という規定はクリアしているため、打率.727が個人最高打率の記録として今も残っている。古閑は言う。

「自分なんて運がよかっただけです。自分は2回戦からで3試合。中村くんは1回戦から6試合ですからね。しかも、中京大中京、秀岳館、花咲徳栄など、次々と強豪校と対戦し、プロ注目の投手を攻略している。仮に、自分たちが準決勝、決勝に勝ち進んだとしても、対戦する投手のレベルは上がってくるので、成績は落ちる一方だったと思います。なので、僕の記録と比較するのはどうかと思います」

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