元ドラ1、元独立リーガー、元リストラ担当...甲子園を彩る異色の指導者 (6ページ目)

  • 清水岳志●文 text by Shimizu Takeshi
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 中村監督の言葉は、感謝の気持ちに満ちている。アマチュア規定を見直してくれた関係者に感謝し、前監督の橋本武徳氏にも「『後継者はお前だ』と指名していただいて幸せ者です」とお礼の言葉を述べた。

 中村にとって2度目の高校野球人生は始まったばかり。「監督のひと言で救われることがある」と話す中村。幾度となく、高校生に勇気を与えることだろう。

 天理と同じくベスト4入りした東海大菅生の若林弘泰監督は、中日で6年間プレーし、現役引退後は運送会社に勤務。その後、37歳のときに大学に再入学して教員免許を取得。2009年から東海大菅生の監督に就いた。

 東海大菅生は、西東京大会で日大三、早稲田実業のセンバツ組を破り、17年ぶりの甲子園出場を果たした。

「日大三に勝ったとき、『まさか日大三が敗退』って新聞に書かれたんです。それで『ふざけるな』と思いました」

 会見では元プロらしく、ストレートで歯切れのいい物言いをする。初戦の高岡商(富山)に勝ったときもそうだった。

「21年ぶり勝利? 特にないです。僕にとっては初めてなんで、それはうれしい」

「継投? 考えましたけど、あえてほかのピッチャーを見せる必要もないでしょう」

 そして練習中は、とにかく"べらんめえ口調"になるという。

「少年野球じゃねぇんだからよう!」

「てめえなんか(試合で)使えねぇよ」

 こんな具合だ。若林自身も口の悪さは自認している。

「僕はほめて伸ばさないので。けちょんけちょんに言います。(エースの)松本(健吾)なんて、涙を流したこともあります」

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