元ドラ1、元独立リーガー、元リストラ担当...甲子園を彩る異色の指導者 (2ページ目)

  • 清水岳志●文 text by Shimizu Takeshi
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 普段は学校の職員として働く中谷は、午後2時ぐらいにグラウンドに出て、帰宅するのは夜の10時過ぎ。全体練習が終わっても、居残りで練習する選手がいれば付き合う。

「四六時中、技術向上のことを考えていて、引き出しはあると思います。『プロと高校生は違う』という人がいますが、やっているのは同じ野球ですから。僕は一流でもなかったし、成功もしなかったけど、工夫はいっぱいしてきました。それに、いい選手の言葉や行動、生活態度やプレーを間近で見てきた。そこで指導できる引き出しはあります」

 もちろん、将来のことも考えている。

「(高嶋)監督からはバッテリーを中心に見てくれと言われています。僕の方は、高校野球とは何か、どんな戦術があるのかといったことを教えていただいています。高嶋監督の目指す野球を日々考えながらやっています」

 松商学園(長野)の足立修監督は同校卒業後、早稲田大から進んだ社会人野球の名門・プリンスホテルのキャプテンとして都市対抗で優勝し、1995年から廃部となる2000年までは監督も務めた。その後、社業に就いたあと、2011年の夏に監督として母校に戻ってきた。

 足立にとって社会人時代の思い出といえば、現役引退後の過酷な体験だ。本社人事部にいるとき、グループ会社の西武鉄道の上場廃止問題が起こった。そこで足立は、早期退職者の対応を任された。

「これは大義を持たないとできなかった。従業員1万人のうしろには、4万人の家族がいる。10人しか乗れない船に20人乗ったら、誰も助からないかもしれない。私だけでなく、経営者も苦渋の決断。断腸の思いだったはずです」

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