あの宇部商「サヨナラボーク」の真実を、捕手・上本達之が明かす (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

──宇部商業は1985年夏に準優勝しましたが、1991年以降、甲子園から遠ざかっていました。

上本 宇部商業に入学したときは「甲子園を目指せ」と言われていたのですが、全然ピンとこなくて。甲子園に出ることを想像しようと思ってもできませんでした。県内では強豪ではあったので、3年間で1回くらい甲子園に行けると思っていましたけど、そんなに簡単なものじゃないとすぐにわかりました。だから、「無理だろうな」と。負け癖がついていましたね。

 3年の夏、山口県大会は運よく勝ち上がっていきましたが、「自分たちは弱い」という自覚がありました。甲子園で松坂大輔(横浜)や杉内俊哉(鹿児島実業)のようなピッチャーがいるチームに勝てるとは少しも思えませんでした。OBの人たちには「甲子園に出たんだから絶対に勝て。勝ってなんぼや」と言われましたが、僕たちはみんなで「爪痕を残そうぜ」と言っていたくらいで。

──1回戦は日大東北(福島)に5対2で勝利。そして2回戦が歴史に残る試合になりました。

上本 僕は高校野球をやった2年半で、楽しかったことはありません。甲子園にいたときだけが例外で、このままずっとここで野球を続けたいと思ったほど。それまでは練習と上下関係が厳しくて......でも、甲子園は本当に楽しかった。

──2回戦で対戦した豊田大谷には、強打者の古木克明選手(元横浜ベイスターズほか)がいました。上田晃広投手も140キロを超えるストレートを投げていましたね。

上本 僕たちよりは明らかに強いけど、大差をつけられるほどじゃないかなと考えていました。でも、豊田大谷のバッターは体が大きかったし、スイングが速かった。ひとりの左バッターが打席に入る前に藤田の投球練習を見て「おっせー」と言ったことを覚えています。球速は125キロくらいだったので、確かに遅いですよね。相手がそんな感じでナメてくれたから、いい勝負ができたのだと思います。

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