71歳の智弁和歌山・高嶋監督は
通算63勝でも「結果を出すしかない」

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 監督として初めて臨んだ甲子園でベスト8。ここから智弁学園では3度の甲子園で7勝を挙げ、1980年には創立3年目の智弁和歌山へ異動。同好会レベルだった野球部を"打倒・箕島"に燃える集団にし、85年のセンバツで甲子園初出場を果たした。

 しかし、甲子園ではそこから5連敗。初勝利は智弁和歌山として6度目の出場となった1993年の夏まで待たなければならなかった。ここから順調に白星を積み重ね、3度の全国制覇を果たすなど全国屈指の強豪校へと押し上げた。

 智弁学園時代も含め、自身36回の甲子園出場で積み上げた勝利数は63。監督通算最多勝利数を更新し続けている。

 ただ、近年は初戦敗退が続いており、一昨年夏は敗退後に一部から"勇退"の報道も出た。「とにかく結果がすべてやから。結果を出すしかないんですよ」と、当時も今も同じ言葉を繰り返す。

 この夏、初戦の相手は興南(沖縄)。同じブロックには大阪桐蔭の名もある。

「ウチのキャプテンはくじ運がええはずやったのになぁ......」

 抽選後はしきりに苦笑いを見せた高嶋だったが、「上にいくときは、強い相手を倒して勢いに乗る、というのがあるからね」とも言った。強い智弁和歌山復活へ、自身37度目の甲子園に挑む。

(後編・73歳と76歳の監督につづく)

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