71歳の智弁和歌山・高嶋監督は
通算63勝でも「結果を出すしかない」

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 覚悟を持って臨んだ4年目、春の県大会で宿敵・天理に敗れたときの藤田の怒りは、これまで以上に激しかった。このとき、高嶋は監督交代、コーチ降格を告げられた。これに対して高嶋は「自分は野球部からも、学校からも離れます」と返した。しかし、周囲の取りなしもあって部長として残ることになり、夏のあと監督に復帰した。

 ところが直後の秋、今度は選手との間に"事件"が起きた。勝利したあと、試合内容に不満があった高嶋は、学校に戻ると「ええと言うまで走っとけ!」とベースランニングを命じた。これが10周、20周、30周......と続いても終わる気配がない。そこで当時のキャプテンが「やってられるか!」とキレ、グラウンドを出ていった。すると、ほかの選手もこれに続き、練習をボイコット。チーム崩壊の危機に陥った。

 この事態に、当初は完全に頭に血が上っていた高嶋だったが、やがて冷静さを取り戻すと、選手たちを集め、初めて胸の奥にある思いを語った。

 高校時代に甲子園でこれまで味わったことのない感動を覚え、指導者を目指したこと。選手たちにもこの感動を味わわせてやりたい。そのためには天理に勝たなければならない。だから、これだけ厳しい練習を課していること......決して語りが上手な方ではない高嶋だが、思いを込めた言葉は選手たちに届いた。話し終えると、キャプテンが「監督についていきます」と頭を下げ、事態は収束。

 そこからチームは近畿大会でベスト8に入り、翌春のセンバツに出場。これが高嶋監督として初の甲子園だった。

「言葉にせんとわからんことがある。あとになって思えば、ボイコットしてくれたキャプテンに感謝です」

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