アフリカから甲子園。おかやま山陽・
堤監督の奇想天外な野球ロマン人生

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami SHiro
  • photo by Kyodo News

「毎日、食事はカロリーの高いものばかり出てきて、聞けば『途上国に派遣されると、みんな痩せるから』と。あとは、何もないところから水を得る方法を学んだり......。これは湿気が少し高そうな土を見つけて、その上にビニールの一方に木の枝の先端を刺して立て、ビニールを斜めにして土を覆うんです。するとビニールの内側に水滴ができて、それを集めて水を得るんです。護身術も習いましたし、鳥の解体も......。生きるための術を習う合宿でしたね。ただ、スポーツ隊員として派遣される場所は、ほぼ街。僕が行ったのもジンバブエの第二の都市・ブラワヨというところのスラム街でした。身につけた技術を発揮するような場所ではなかったです」

 1995年、堤は満を持してジンバブエに向かった。野球隊員5人と現地の小学校やセカンダリースクール(日本で言う中学と高校にあたる学校)を片っ端から回り、営業した。たとえば、こんなやりとりだ。

「ベースボールを教えさせてください!」
「オー! バスケットボール!」
「ノーノー、ベースボール!」
「......」

 ジンバブエでスポーツといえば、サッカーとクリケットで、ベースボールは馴染みが薄い。最初は話が弾まなかった。それでも少しずつ熱意が伝わり、体育の授業枠として採用してくれる学校が増えた。月曜から金曜まで各日5コマ、計25校で野球の授業を行なうようになった。ただ、そこでもすんなりとはいかなかった。

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