アフリカから甲子園。おかやま山陽・堤監督の奇想天外な野球ロマン人生 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami SHiro
  • photo by Kyodo News

 当時の東北福祉大は、最上級生に金本知憲(現・阪神監督)や斎藤隆(元ドジャースなど)らが揃っていた黄金期。「自分は選手としてはまったくで、思い出と言えば、10トン車が列をなして運んでくる砂から小石を取り除く作業をひたすらやったこと。そのおかげで腕だけは太くなりました」と堤は笑うが、3年秋に引退勧告を受け、そこからはバイト三昧。そんな日々のなかで、堤の人生は劇的に動き始めていく。

 ある夜、ぼんやりテレビを見ていると、アフリカ大陸南部に位置するジンバブエでボランティアとして野球を教える日本人(同国の野球普及に取り組んだ初代野球隊員の村井洋介氏)と現地の子どもたちとの交流を描いた番組が流れていた。その夏、アフリカの地から日本にやって来た子どもたちが東京ドームでプロ野球を観戦。さらに、海を知らない子どもたちに海を見せようと大島へ寄り、少年野球チームとも交流するという内容だった。そんな番組の最後に、村井の思いが綴られたテロップが流れた。

「道具がない、グラウンドがない、お金がない。そんなことは問題じゃない。最大の問題は、自分のあと、野球を教えに来てくれる日本人がいなくなることなんだ」

 この言葉を目にした瞬間、堤のなかに突き上げてくるような衝動が走った。世界中に野球を広めたい――すぐにテレビ局に電話をかけ、「自分が行きます」と伝えた。その後、JICA(国際協力機構)の窓口を紹介され、手続きを踏み、各種試験を受験した。超難関の狭き門だったが、2度目の挑戦で晴れて青年海外協力隊に合格。その後、福島県の施設で約90日間に及ぶ合宿生活を行ない、備えた。

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