大阪桐蔭とガチで打撃戦。府立校・大冠は地元中学の軟式出身者が主役 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 大冠は、東山監督の母校である大阪府立島上高校の分校・島上大冠として1986年に創立(95年に大冠として独立)。野球部は1989年と1992年の夏に5回戦まで進んだが、概ね1つか2つ勝って、負ける......という戦いを繰り返し、全国的にはまったくの無名チームだった。

 おそらく全国の高校野球ファンのなかにも、「大阪桐蔭と決勝であたる大冠ってどんな学校?」と思った方は多かったのではないだろうか。

 4、5年前までは他県に練習試合に行くと、「だいかん」と読まれることが多かったという。ちなみに、大阪の高校生の間では「おおかん」の呼び名で通っている。

 名前の印象から私学と思われがちだが、前述のように大阪府高槻市大冠町にある府立校だ。「お金もできるだけかけたくない」と、ユニフォームは上から下まで白で統一。左胸に黒っぽい崩し文字で縦に「大冠」と力強く書かれている。

 この夏、左胸の文字のように力強く勝ち上がり、最後は2点差まで詰め寄るなど王者を慌てさせた。本気で狙っていた甲子園には一歩届かなかったが、創部以来最高成績となる準優勝。新たな歴史を刻んだ。

 試合後、東山監督はこう語った。

「バッティングを掲げてきたウチの野球はできました。ただ、結果として甲子園に連れて行ってやれなかった。気持ちのある子が揃ったチームで、厳しい練習にもついてきてくれた。私に力があれば、勝ち切れたかもしれなかったのに......」

 細身の体に銀縁メガネの55歳。日差しに照らされ続けてきた褐色の肌が、これまでの長い道のりを物語っている。

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