元ヤン主将の涙が変えた!茨城・総和工がチーム一丸で目指す甲子園 (2ページ目)

  • 高木遊●文・写真 text&photo by Takagi Yu

 そのひとつが春の沖縄キャンプだ。今年は10泊11日で行なった。旅費などの資金は、選手たちが11月下旬から約1カ月、郵便物の仕分けのアルバイトを早朝に行なって貯めたものだ。大人とともに仕事をするなかで社会性も向上する。沖縄合宿では選手たちの結束力強化や、自信が生まれづらい選手たちの意識向上が大きな狙いだ。

 その重要な時期の選手たちの態度に、大竹は我慢がならなかったのだ。

 今では「責任感が最も強い」と鈴木監督から主将を任されている大竹だが、中学時代には道を外しかけたことがあった。

常総リトルシニアではエースになることはなく、夏に最後の公式戦が終わると、髪を金色に染め上げ、特攻服に身を包んだ。いわゆる"ヤンキー"の姿そのものになり「野球は好きでしたけど、高校に落ちたら野球を辞めてもいいやって思っていました」と、大竹は当時の心境を語る。

 そんなときに手を差し伸べたのが、常総リトルシニアの鈴木孝会長と、小学2年から大竹とともに野球をしてきた鈴木健修(すずき・けんしゅう)。それぞれ鈴木監督の弟と甥にあたる人物だ。

ふたりはまず、大竹を学習塾に半ば無理やり通わせ、高校進学できるように努めた。そして総和工に合格すると、三たび同じユニフォームを着ることになった健修は捕手に転向し、大竹の女房役となった。

「今は充実しています。あの頃は逃げていたんだと思います」と、大竹は中学時代を恥ずかしそうに振り返る。入学時はまだ「オラオラな雰囲気で、眉毛もシャーペンの芯みたいだった」とエースを争う同級生の長谷川大樹は笑うが、鈴木監督の熱心な指導に、大竹は徐々に心を開き、人間としても投手としても成長を遂げていった。

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