「選手強化しても勝てなかった」立教大を18年ぶり優勝に導いたもの (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki


 その時代のOBが今春、神宮球場で後輩たちのシートノックを見て、「いまの立教は本当にうまいな。オレたちの頃とは全然違う」と舌を巻く。出身高校をチェックすると、甲子園常連校ばかり。なかには、日本一になった選手の名前もある。大阪桐蔭、仙台育英、横浜、浦和学院......甲子園組だけで何チームもできる戦力が整っている。

 もっとも、前回(1999年)の優勝メンバーにもドラフト2位で巨人入りした上野裕平がいた。のちに立教OBとして初めてメジャーリーガーになる多田野数人は1年生だった。PL学園、東福岡、盛岡大付、聖望学園......強豪校の出身者は、そのときもラインナップに並んでいて、すでに「強くする」流れはあった。

 そう考えれば、18年の空白期間は長すぎる。

 開成高校野球部を追ったノンフィクション『弱くても勝てます』(高橋秀実著・新潮社)のタイトルになぞらえれば、「強くても勝てません」という状態が続いていたのだ。

 なぜ立教大学野球部は18年も勝てなかったのか?

 30年以上も後輩たちの戦いを間近で見つめてきた横山忠夫OB会長(元巨人、1971年ドラフト1位)の目にはどう映っているのか訊いてみた。

「残念ながら、ほかの大学と比べて、戦力的に立ち打ちできない時代が長く続いていた。互角に優勝争いができるようになったのは、2008年にアスリート選抜制度ができて以降。それまでは、なかなか難しかった」

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