監督就任すぐに甲子園へ。
あのセンバツ準優勝投手の元プロがやったこと

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

 桑田真澄、清原和博を擁するPL学園が優勝候補の大本命だった1985年春のセンバツ大会──。決勝まで勝ち上がったのは、準決勝で清原を完璧に封じた渡辺智男を擁する伊野商業(高知)。そしてもう1校は、準々決勝で報徳学園、準決勝では池田を撃破した帝京(東京)だった。

 あのときマウンドで躍動した帝京のエースが、監督として甲子園に帰ってくる。監督就任わずか1年足らずで、帝京第五(愛媛)をセンバツ出場に導いた小林昭則監督に聞く。

帝京第五に技術や体格で突出した選手はいない帝京第五に技術や体格で突出した選手はいない

意識改革はご飯の食べ方から

──32年前の1985年春、帝京高校のエースとしてセンバツ準優勝投手になった小林さんは、進学した筑波大学時代に明治神宮大会で優勝。プロ入り後はロッテ(現千葉ロッテマリーンズ)で7年間プレーしたあと、帝京高校の教員になり、野球部のコーチも務めていました。帝京第五の監督に就任したのは2016年4月。それからわずか半年後に秋の四国大会で準優勝し、今春のセンバツに出場することになりました。帝京第五としては48年ぶり2度目の甲子園出場。縁もゆかりもない土地で、いきなり結果を出すのは難しいことだと思います。

「それまで帝京第五は1年おきに監督が交代するような状態だったので、選手には指導者に対する不信感みたいなものがあったような気がします。私が就任してすぐに厳しい言葉をかけたときの選手たちの目が忘れられません」

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