謹慎処分で変わった指導法。履正社と岡田監督「激動の30年史」 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 その大阪桐蔭との初対決は1991年春、大阪大会の5回戦だったが、結果は10対0のコールド負け。このときの大阪桐蔭は、直前のセンバツで甲子園初出場を果たし、同年夏も甲子園に出場して全国制覇を成し遂げたチームだった。「ウチとはまったく素材が違っていました」と岡田は振り返るが、それから6年後の夏、大阪大会準決勝で両者は再びぶつかり、そのときは2対1で履正社が勝利して、甲子園初出場に弾みをつけた。

 そして3度目は99年夏の大阪大会2回戦。このときも13対12と履正社が乱打戦を制して勝利。しかし、2005年の夏に準決勝で敗れると、そこからパタッと勝てなくなった。初戦での激突で話題となった昨年の夏を含め、ここまで大阪桐蔭が9連勝中だ。

「何かひとつ足りない、ひとり足りない......。戦力的にそういう印象の年も多かったですし、これまでは勝負根性的なものもあったのかと......」

 寮生活から生まれる大阪桐蔭の一体感や、練習に集中できる環境の差を指摘する声もある。

「しかし、それはウチの学校のシステムなので変えようがない。それに寮か、通いかの問題だけじゃなく、気持ちを含めた総合力でどう相手を上回っていくか。そこを考えないとダメです」

 岡田自身のなかに、大阪桐蔭に対する苦手意識は特にないという。

「力が足りないから勝てない。それだけでマイナスイメージを持つことはありません。一時のPL学園に感じていた、とてつもない差とも違いますし......」

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る