「母」は元プロ野球選手。履正社を
強豪校に育てた岡田監督の意外な過去

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 以前、かつて母と一緒にプレーしていたという女性が岡田を訪ねてきたこともあった。東京ドーム内にある野球殿堂博物館に当時の女子プロ野球選手たちの写真が飾られており、そのなかに母の顔を見つけた。

「チーム名もわからないし、選手の名前も写真には書いてないんですけど、これはどこからどう見てもオカンという選手がいて、あらためて『野球やってたんやなぁ』と」

 そう言うと、岡田は「この右から2番目の......」と携帯電話で撮影した写真のなかのひとりを指差した。野球人・岡田龍生が育つにふさわしい環境を想像させた。

 ただ、原っぱで野球を楽しんでいた小学校時代を終え、中学校に進んだ岡田が熱中したのは野球ではなくバレーボールだった。当初、野球部に入部したが活動日が週に3日しかなかった。そこへ、バレー部の顧問でもあった担任教師がこう言ってきた。

「岡田だけ特別や。1週間のうち3日は野球、4日はバレーボールをやれ」

 元気があり余っていた少年時代、「週の半分以上も放課後に放っといたら遊びに夢中になると思ったんでしょう」と岡田は笑ったが、担任のひと言によって部活の掛け持ち生活が始まった。

 上背こそなかったが、運動能力は抜群。岡田は上を目指す部の空気にも馴染み、みるみるうちにバレーにのめり込んで、最後はキャプテンにまでなった。高校でもバレーを続けるつもりだったが、「お前の身長じゃ、高校ではピンチサーバーか、前衛になったら交代させられる選手がせいぜいや」と担任に言われ、「なら、野球や!」となった。

2 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る