大島と八丈島。「離島の連合チーム」が秋の都大会に勝ち進んだ意義 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文・写真 text&photo by Kikuchi Takahiro

 一方、八丈高校監督の佐々木は、大島高校についてこんな印象を抱いていた。

「同じく島のチームで、しっかりと練習しているチームだと思っていました」

 大島高校は離島のチームとはいえ、1997年と2006年の夏に東東京大会ベスト8まで勝ち上がるなど、強豪として知られていた。長年、監督を務めた樋口秀司氏(故人)の指導や、本土の高校を夏合宿に呼ぶなどして強化し、離島のハンデを克服していった。一方、八丈高校も2009年夏に東東京大会ベスト16に食い込む健闘を見せている。

 こうした実績のある両校だけに、連合チームを組んだことに都内では衝撃が走った。大島高校は部員8名、八丈高校に至っては2名しか部員がいなかったのだ。

 部員が減った背景を大島高校の赤澤はこう語る。

「かつて1万人を超えていた人口は今や8000人を切るか切らないか。島民自体が減っていますし、大島高校の全校生徒は約140人しかいません。1年生の男子は14人で、そのうちの4人が野球部員なので、よく入ってくれていると思います」

 一方、八丈高校は8人いた3年生が引退すると、残されたのは2年生1人、1年生1人のわずか2人だけになった。唯一の2年生部員である西濱智洋は、身長175センチ、体重82キロとガッチリした体型の強打者だ。

「中学(大賀郷中)のときから部員は少なかったんですけど、なんとか3学年で9人以上はいました。でも、みんな高校で野球はやらないと......。練習は僕と、1年生の浅沼(康平)と佐々木先生の3人でやっています」

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