「一番おとなしい指揮官」北海・平川監督が手にした準優勝の重み (2ページ目)

  • 中村計●文 text by Nakamura Kei
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 道内の関係者は言う。

「北海のOBの圧力は道内一。だから、平川くんも大変だったと思うよ」

 駒大苫小牧の香田誉士史(こうだ・よしふみ)監督と同い年ということもあり、何かにつけて比較され、夏に甲子園を逃すと、どこからともなく「(平川監督は)辞めるらしい」との噂が耳に入った。

「辞めたいと思ったことはありますよ。大西先生に何回か相談したことはありますけど、『辞めたら負けだぞ』と。もう、やるしかなかった」

 駒大苫小牧に先を越されて悔しくないはずがない。しかし、そうした私的感情は押し込め、目の前のできることを1つずつこなした。

「すごいなと思ったし、自分たちもそこを目指していたので、複雑といえば複雑ですよね。でも、そのへんは、あんまり考えないようにした。同じ土俵に立っているわけですから。駒大苫小牧に勝たないと、甲子園はないわけですから。粛々と、自分たちのやることを必死になってやるしかなかった」

 ただ、こう感謝の言葉を口にする。

「香田先生は、やればできるっていうことを北海道民に教えてくれた。私も口では日本一って言ってましたけど、どういうチーム作りをすればいいかまでは考えていなかった。漠然と言ってただけ、というのが正直なところでしたから」

 香田監督が駒大苫小牧を離職した08年夏、鍵谷陽平(日本ハム)を擁し、北海は久しぶりに甲子園に出場するも、東邦に乱打戦の末、10-15で敗れた。11年夏は明徳義塾に2-3で惜敗し、またしても平川監督にとって悲願の甲子園1勝はならなかった。昨年は開幕戦で鹿児島実業に4-18で惨敗。今度は、甲子園の初戦の壁が立ちはだかった。

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