「ありんこ軍団」八王子はどうやって甲子園にたどり着いたのか (6ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 安藤監督は勝因を聞かれ、「苦しい展開でも選手たちがよく我慢してくれた」と語っていたが、指揮官としても我慢の末にたどり着いた頂点だった。かつては中学校の教員として勤務し、女子バスケットボール部の顧問として全国制覇に導いたこともある変わり種。高校野球の指導者に転じ、2005年秋から監督となって11年目で得た勲章。安藤監督はしみじみと思いの丈を語った。

「昔から応援してくれる人やOBたちから『頑張ってね』と言い続けられて、『いつかは』という思いがありました。池添総監督にも恩返しがしたいと思いながら、思うように結果が出ず、9年前に決勝で負けてから『ずいぶん長かったな......』と感じます」

 誰もが「まさかこの代が」と語ったチームだった。だが、『野球マニュアル』に代表されるように、八王子の野球は先輩から後輩へ、連綿と受け継がれてきたものだ。早乙女大輝、米原大地という2年生の左右二枚看板に、機動力野球と堅い守備。こうして研ぎ澄まされた「ありんこ軍団」は早実や東海大菅生といった「巨象」に食いつき、この夏にようやく転倒させた。

 そして、8月7日からは夢にまで見た甲子園大会が始まる。安藤監督は聖地への思いを語った。

「甲子園は気持ちいい場所なんだろうなと思い描いています。でも、場所が変わってもひるまず、自分たちの野球がしたいです」

 あくまで「ありんこ軍団」の野球にこだわり、初めての甲子園でも縦横無尽の機動力で暴れ回るつもりだ。

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