初出場「きらやか銀行」が都市対抗で起こした創部65年目の奇跡 (4ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kikuchi Takahiro

 都市対抗出場など、夢のまた夢。それでも2009年途中から再び企業登録に戻ると、近年は会社の理解もあり、練習環境が整ってきた。現在は平日で も14時半から練習ができ、部員数は27名を数える。今や選手の中でクラブチーム時代を知っているのは梅津ただひとり。梅津は「クラブチーム時代を思えば、今の環境は素晴らしいです」と感謝を口にする。

 梅津は外野手のレギュラーだったが、3年ほど前から若手が台頭してきたこともあり、控えに回ることが多くなった。そして今年からデータ分析の仕事を買って出たのだが、当初はプレーヤーとして「このままでいいのか?」という葛藤もあった。

「自分が控えということは納得がいっていましたが、中途半端に練習をしたくないし、正直言ってモチベーションを保つことが難しかったですね。ひょっとしたら、クラブチーム時代よりも『やめようか』と思っていた時期かもしれません」

 そんな梅津にとって救いになったのは、若い選手たちからの「梅津さんのおかげで結果が出ました」という声だったという。

「若い選手たちも面倒くさがらずに話を聞いてくれるし、試合後に『ありがとうございました』と言ってもらえるとうれしいですね」

  都市対抗では2週間前からデータ収集を始め、プレーヤーとしての練習もしながら、毎日3~4時間の睡眠時間で準備した。そして名門・パナソニックと互角以 上に渡り合い、2対2のタイスコアで迎えた延長12回。タイブレークとなった守備で、梅津にとって「サプライズ」が起きた。センターを守っていた中原北斗 に代打が出た関係で、梅津がセンターの守備固めとして起用されたのだ。

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