清宮に立ちはだかるドクターK、聖徳学園・長谷川宙輝が西東京を熱くする (3ページ目)

  • 菊地高弘●文・写真 text&photo by Kikuchi Takahiro

 関東高校時代からコーチを務め、聖徳学園で20年以上も監督として携わり、ようやく出会えた「原石」。中里監督は何とかして長谷川を大学以上のレベルで野球ができる選手に育てたいと考えていた。

 だが、当初は「笛吹けども踊らず」という状態だった。長谷川自身、当時の甘さをこう振り返る。

「自分のなかに『どうせすぐ負けるからいいや』と言い訳をつくっていて、周りからのアドバイスを本気で受け入れることができていませんでした。監督から『プロに行ける』と言われても、『いや、無理だろう』と」

 中里監督も当時の長谷川について「1年の頃は自分のこだわりがあったのか、私に反発している感じでした」と苦笑混じりに述懐する。

 しかし、1年夏の西東京大会で転機が訪れる。都立校の名門・東大和戦で1年生ながら先発登板した長谷川は、4回まで2失点と好投。だが、5回につかまるとミスも絡み、チームは一挙10点を失う。4対14のコールド負けに終わったこの敗戦が、長谷川の意識を変えた。

「このままじゃダメだ。全力でやれば力がつくはず。監督についていこう」

 中里監督が特にこだわったのは、「バランス」と「肩甲骨周りの柔軟性」だった。バランスは立ち方、走り方までチェックし、投球練習中に長谷川の頭が少しブレていると感じると、即刻練習を中止させた。バランスが崩れた状態で練習しても、効果が薄いためだ。肩甲骨周りの柔らかさは、「マエケン体操」と呼ばれる前田健太(ドジャース)がイニング間に行なうストレッチを取り入れた。

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