2浪の強打者も。4季ぶり優勝に迫る慶応大「浪人組」の底力

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshitomo

「最初は『ダメだったか』という感じだったのが、2つ、3つと不合格が続いて『ヤバイな』となり、最後もダメになると、もう空しくなりました。自分は慶応しか受けていないので、この1年間をすべて否定されたような感じで……。やり直しがきかないと思うと、だんだん部屋から出られなくなって、親にも申し訳ないし、もう慶応には縁がなかった、無理なのか……と絶望していました」

 どこか別の大学の後期募集を受けようかと考えていると、またもや父が助け舟を出してくれた。

「2年くらいかかるのはしょうがない。もう1浪してみたらどうだ。早慶なら2浪して入る人だってたくさんいる。その価値があるところだと思うよ」

 この言葉に背中を押され、倉田は2浪を決意する。この年は浜松から東京に出て、寮制の予備校に通うことにした。新しい予備校で基礎から徹底的に見直すと、「自分はわかっているつもりでいたのに、実際はこんなにわかっていなかったのか……」と愕然とした。倉田は新しい環境で徐々に実力をつけていった。

 だが、もう後がない3度目の大学受験も険しい道のりだった。最初に受験したのは第一志望の慶大法学部。英語が想像以上に難しく、「全然ダメだ。これでは無理だ……」と最悪の手応えだったのだ。「切り替えてしっかりやろう」と自分に言い聞かせたが、このショックが尾を引いて、以降の入試も本調子を出せなかった。

 焦燥感に包まれるなか、ある入試の帰り道、電車のなかで「そういえば、今日は慶応法学部の合格発表だ」と思い出した。再び忌まわしい電話応答システムにダイヤルする。すると、倉田の耳に想定外の言葉が飛び込んできた。

「ゴウカクデス」

 倉田はすぐさま電車を降りた。「ウソだろ?」と信じられなかった。昨年は無機質に響いた自動音声が、まったく別の温かみをもって聞こえた。すぐに父に電話すると、受話器の向こうで父が泣いていた。倉田は父の悲願でもあった慶応のユニフォームを2年遅れで着ることができたのだった。

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