2浪の強打者も。4季ぶり優勝に迫る慶応大「浪人組」の底力 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshitomo

 倉田直幸は高校時代、一部メディアから「浜松のイチロー」と呼ばれたこともある、静岡県内では知られた好打者だった。高校3年の夏を終えて「大学をどうしよう」と考えていると、父親からこんなことを言われた。

「野球を続けるなら、早慶戦のような舞台でプレーしてくれたらうれしいな」

 倉田の父は学生時代に慶大を志望しながら、その願いを果たせなかったという。本格的な野球経験がないにもかかわらず、幼少期から練習をサポートしてくれた父に、倉田は尊敬の念を抱いていた。早慶いずれかでプレーすることを目指して検討した結果、早稲田大のみ一般受験することにした。

「慶応の入試は小論文があるんですけど、自分は国語が苦手だったので......。早稲田のほうが引っかかるのでは? と思いながら受験しました。でも、とりあえずマークシートを埋める感じで、自分が解けているのかどうかもわからないありさまでした」

 結果はもちろん不合格。すると父は「いい大学に行くのなら浪人はつきものだ」と励ましてくれた。父も浪人経験者だったのだ。

 浪人生活をスタートさせた当初は体がなまらないようにトレーニングも並行していたが、「まず大学に受からないことには始まらない」と勉強に専念。まさに勉強漬けの日々を送った。予備校は早慶志望のコースだったが、次第に慶大への魅力を感じるようになり、慶大一本に絞った。

 そして再び迎えた受験シーズン。相変わらず小論文は苦手だったが、英語と日本史でカバーすれば大丈夫だろうと慶大の一般入試に挑んだ。5つの学部を受験し、手応えは上々。意気揚々と携帯電話で合否を知らせるダイヤルにつなぐと、無機質な自動音声が倉田の耳に入ってきた。

「ザンネンナガラフゴウカクデス」

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