駒苫vs早実、伝説の決勝から10年。野球を諦めた男たちの「88会」 (5ページ目)

  • 菊地高弘●取材・写真 text&photo by Kikuchi Takahiro
  • 片平裕志●取材協力 cooperation by Katahira Yuji

「野球をやめた当時は自分だけ抜けた後ろめたさがありました。でも、やめてみて、野球が余計に好きになったんです。この前も東京ドームにプロ野球を見に行ったんですけど、やっぱり坂本や澤村とか、同級生には活躍してほしいなと思いました。斎藤とは定期的に会っているんですけど、最初は野球の話をしづらくて、変に気を遣っていたような気がします。でも、最近は斎藤も明るく接してくれて、僕らも『全然ダメだね』とか、笑って言えるような感じです。今が一番いい関係かもしれませんね」

「プロに行けなかった者たちの同期会」という意味合いから少し外れる選手もいる。立ち上げメンバーのひとりでもある鷲谷修也だ。鷲谷は駒大苫小牧卒業後にアメリカの短大へと渡り、MLBからドラフト指名を受けて話題になった「元・プロ野球選手」だ。

「肩が痛くて投げられなくて、僕のようなタイプの選手は守れなければ解雇されても仕方がありませんでした。日本に帰国してからはNPBを目指して、BCリーグの石川ミリオンスターズに入ったのですが、そこでも力強く投げられなかった。ダラダラと『野球しかない』という人生を送るのはイヤだったので、22歳で引退しました」

 その後、鷲谷は米国短大の卒業資格を生かして上智大学に編入し、勉学の道に進む。本人は「もう有効期限が切れていると思います」と笑うが、TOEICで945点をマークしたこともある。現在は外資系証券会社に就職し、日本国債の運用を担当している。

「お腹いっぱいまでできたので、野球をやめたことに後悔はありません。今は自分が目指してきた方向に進めていると思います」

 草野球の試合中、かつてアマチュアで鳴らした猛者たちが暴れまわる一方で、あまり体育会系の匂いがしないメンバーも何人かいることに気づいた。声を掛けると、高校時代は野球部ではなかったという。

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