都立小平の120キロ右腕になぜ早実は苦しんだのか? (3ページ目)

  • 菊地高弘●文・写真 text&photo by Kikuchi Takahiro

 また、試合でも対戦したことがあるが、当時の清宮は腰を疲労骨折していたため、試合に出ていなかったという。といっても、白石もシニア時代は控えだったため、試合には出られなかった。

 試合前、太田と白石の1年生バッテリーは早実打線を抑えるために2つの策を立てていた。それは、「インコースに変化球を投げる」ことと「外に落ちる球を投げる」。事前に「清宮は落ちる系の変化球に弱い」という情報が入っていたからだ。

 1打席目、緩いカーブを清宮の膝元に投げ込もうとするが、きわどいボールに対しても清宮のバットは動かない。

「ボール1球分外しても振ってこない。すごい選球眼だな……」(白石)

 カウント3−1と打者有利カウントになって迎えた5球目、再び太田が投じたカーブを清宮が捉えた。打球は強烈なラインドライブとなり、ファーストを襲った。これをファーストが弾き、記録はエラー。ピンチは広がったが、バッテリーとしてはとりあえず狙い通りの攻めができた打席だった。

 後続の4番・金子を詰まったショートフライ、5番の岡本大輔(2年)もレフトフライに抑え、太田は辛くも初回のピンチを脱する。ベンチに戻る太田は、三塁側スタンドからの大きな拍手喝采で迎えられた。

 すると2回表に、小平に思わぬチャンスが到来する。あっけなく二死を取られた後に6番・中岡大志郎(2年)のセーフティーバントが小フライになって、一塁線付近にポトリと落ちた。放っておけばファウルになっていた打球だが、投手の服部が誤って捕球してしまう。これが内野安打となって初の走者を出すと、暴投に四球が絡んで二死二、三塁。ここで8番・菅野杜人(1年)が一、二塁間をしぶとく破る安打を放ち、小平が2点を先取する。

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