【高校野球】地方大会秘話。古豪復活を託された2人の野球ド素人 (4ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 小池と中山の関係は、高校1年時のクラスメイトで、高校卒業後も草野球チーム「ラスベガス・ギャンブラーズ」のチームメイトでもあった。盆、暮れ、正月と飲む間柄だった小池は、中山から母校野球部の惨状を聞かされていた。

「オレたちの知っている日立一高じゃねぇんだよ。日立駅で日立工業や明秀日立の野球部員が来ると、ウチの部員はバッグを裏返すんだ」

 バッグには、日立一高の学校名が刺繍されている。小池はその話を聞いて「母校の誇りのために、立ち上がらなければいかん!」と決意したという。

 小池も皆川と同じく本業は広告代理店勤務のサラリーマン。中山の話を受けて、さっそく社内にいる名門野球部出身で、コーチ経験のある後輩にリサーチを開始する。そして、セミナーではふたつのポイントについて話そうと決めた。

「ひとつは、『野球部はモテる』ということ。日立一高はサッカー部もラグビー部も強いけど、全校応援にはならない。高校スポーツでこれだけもてはやされるのは野球部だけなんだよ、ということです。それともうひとつは『甲子園を身近に感じさせる』ということ。『特別な場所』と思うと意識してしまって、力が発揮できなくなるからです」

 県大会で1回勝つかどうか……というレベルの学校では、どうしても甲子園は遠くに感じてしまう。しかし、かつて阪神の私設応援団におり、また「マスターズリーグ」の甲子園開幕戦の運営スタッフでもあった小池は、甲子園球場のことを熟知していた。

「水戸市民球場の内野席は30段しかないけど、甲子園は63段ある」

 甲子園球場の風景をあますところなく見てきた小池の言葉によって、選手たちはまだ見ぬ「甲子園」に対して、身近なイメージを持つことができるようになった。

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