東海大相模、唯一の「想定外」がもたらした45年ぶり日本一 (3ページ目)

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 決勝でも初回から仙台育英を圧倒するかのようだった。初回一死二塁から、3番・杉崎成輝が、1大会最多タイとなる6本目の二塁打で先制するなど、3回表までに4点をリードした。

 このまま圧勝すると誰もが思ったはずだ。準決勝の先発を回避していた先発の小笠原が、大量失点するとは考えにくかった。しかし、ここから流れは仙台育英に大きく傾いていく。

 3回裏に3点を返し、3-6で迎えた6回裏には、仙台育英の1番・佐藤翔太が一死満塁から走者一掃の三塁打を放ち、同点に追いつく。甲子園は、2004年に北海道勢として初優勝した時の駒大苫小牧に対するような、あるいは広陵を相手に大逆転劇を演じた2007年の佐賀北に対するような、仙台育英への一方的な声援がこだまする。

 8回を終えて6-6。小笠原の投球数はすでに152球に達していた。

 それでも門馬監督は動かない。動けなかったのか。

「動けなかったわけではありません。ストレートが140キロは出ていましたし、8回裏に、ストライクのボールを相手打者が体に当てて三振になった場面がありましたが、力のあるボールだった。そのピッチングを見て続投を決めていました」

 9回表の先頭打者は小笠原だった。投手交代を考えているなら代打を送る場面だ。門馬監督はあえて「代えない」ことで、アグレッシブベースボールを貫こうとした。

 しかし、吉田凌には「準備しておけ」と念のため声をかけようと、グラウンドに背を向けた。その瞬間だった。大歓声と、選手の叫び声が聞こえた。すぐさま振り返ると、小笠原がセカンドキャンバスをゆっくり蹴っている。

「(ゆっくり走っていたため)最初は外野フライかなと思ったんです。それがまさかのホームラン。怒られるかもしれませんが、つい抱きしめてしまいました」

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