ドラフトの目玉。仙台大・熊原健人を変えた「プロの言葉」 (2ページ目)

  • 石井祥一●文 text by Ishii Shouichi
  • photo by Kyodo News

 プロのコーチから発せられる技術指導は、熊原にとってまさに「目からウロコ」の連続。彼らの言葉を聞き逃すまいと熊原は貪欲だった。ただ、熊原にとって技術指導よりも衝撃を受けた言葉があった。

「豊田コーチが話してくれた言葉は、これからもずっと忘れないと思います」

 大会期間中、台中市内にある選手宿舎の部屋は携帯電話がつながりにくかった。電波がいちばん安定していたのは1階ロビーのエレベーターホール付近ということもあり、熊原はしばしばそこに出向いていたのだが、その度に豊田コーチと鉢合わせになった。

 最初は緊張して話しかけることができなかったが、次第に慣れ、宿舎での短い時間でも話をするようになった。豊田コーチも、自分と熊原が似たような境遇であることに興味をそそられていた。

 鈴鹿高校(三重)出身の豊田も、柴田高校(宮城)出身の熊原も、高校時代は無名の選手だった。それから豊田は同朋大(愛知)に進み、頭角を現してプロの世界に飛び込んだのだが、熊原も大学進学後に急成長し、今秋のドラフトの目玉と呼ばれるまでになった。熊原は言う。

「豊田さんも高校時代はまったくの無名でエースと呼ばれる存在ではなかったことや、大学時代は満足に練習する場所がなかったことなど、いろんな話をしていただきました」

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る