【高校野球】安樂智大の772球。繰り返してはならない「17年前の悲劇」 (2ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 そして5回、甘くなった変化球を連打され無死二、三塁とされると、球種を絞られ狙い打ちにあい、1イニングでまさかの8安打を浴びた。ファーストゴロではベースカバーにいけず、スパイクのひもがほどけているのをショートの宇佐川陸に指摘されてタイムを取る場面もあった。

「安樂はひもがほどけていたのに気づいていませんでした。いつもだったら気づいていたと思います」(宇佐川)

 ベースカバーに走る体力も、自分の足もとを見る余裕もない。明らかに限界だった。それでも、安樂はマウンドを降りない。「1イニング7点取られたのは人生で初めて」という屈辱を味わいながら、上甲正典監督に5回降板を打診されると、「もう1イニングいきます」と志願して6回のマウンドへ上がった。この回にも2点を失い、ようやくマウンドを譲ったが、この日も109球を投じた。5試合で合計772球。これは高塚の712球を大きく上回った。

 安樂は2年生ながら、来年のドラフト1位が確実視される逸材。もちろん、上甲監督も安樂の将来を考えていた。寒い冬場の時期、体も十分に温まっていないのに守備練習で思い切り投げる安樂に「体を大切にしろ。そんなことでケガでもしたらどうするんだ」とカミナリを落としたこともあった。また、本来は試合前夜に決める先発オーダーも、準決勝以降は当日の朝、安樂に体の状態を確認してから決めるようにした。

 安樂の将来とチームの勝利、どちらを優先するのか――。日本一を目の前にして、監督としてもっとも苦しい決断だった。上甲監督はこう話した。

「苦悩ですね......。将来を考えると無理はさせられない。『どうだ?』と聞いても、本人は『何ともありません。投げます』と言う。ブレーキを掛けないといけないので難しいですよね」

 ちなみに、2004年のセンバツで優勝した時も、エースは2年生の福井優也(広島)だった。福井は準々決勝の東北戦の9回のマウンド以外、5試合44イニングをひとりで投げ、準優勝した同年夏の甲子園でも、決勝で1回2/3だけマウンド譲った以外はひとりで投げ切った。それでも福井は故障をせず、翌年の夏も甲子園に出場した。なぜ、あれだけ投げたのに福井は故障しなかったのか? 上甲監督はこんな話をしてくれた。

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