【WBC】侍ジャパン2009「チームを救った名脇役」 (2ページ目)

  • 柳川悠二●取材・文 text by Yanagawa Yuji
  • photo byTaguchi Yukihito

「追い込まれると不利になるから、ボール球に手を出してしまっている。スタメンで出たいけど、やっぱり僕の代わりに出た右バッターが活躍しているからね。いつかチャンスが回ってくると思うけど......」

 試合のない練習日には居残り特打を行ない、出番に備えた。そして第2ラウンド最初の韓国戦ではバットを折られながらセンター前ヒット。どん詰まりでも、ヒットゾーンに打球が飛んだのは、稲葉にとって復調のきざしだった。

 そして準決勝進出をかけたキューバ戦で4番に復帰し、1安打。準決勝のアメリカ戦では、1点ビハインドの4回に先頭打者としてライト前にヒットを放つと、後続もそれに続き、この回5得点。稲葉が逆転の足掛かりをつくった。

 指針を決めていくチーム始動期間と、大一番が続いた大会終盤にこそ、稲葉の存在感は際立っていた。

 野手ではもうひとり欠かすことのできなかったバイプレイヤーがいた。片岡易之は本職のセカンドではなく、中島が欠場した際はショートを守り、村田がケガで離脱するとサードをそつなくこなした。期待された"足"での見せ場こそ少なかったが、希少な右打者である彼がいなければ原監督の言う「ツーウェイの作戦」も取ることはできなかった。


実力派のブルペン陣が先発投手陣を援護

 投手陣で最年長の渡辺俊介は、開幕前、山田久志投手コーチから「おまえは韓国戦でいくから」と告げられていた。前回大会では韓国戦2試合に先発して1失点。本人にも韓国キラーの自覚があった。久米島でのロッテキャンプから韓国選手が打席に立っているイメージで、ブルペンでの投げ込みを行なった。

 前回と渡辺の役割が異なるのは、いわゆる第2先発だったことだ。これまで中継ぎ経験の乏しい渡辺は、調整法を先発用から中継ぎ用に変えていた。通常は登板2日前に50球を投げるところ30球程度に減らし、逆にノースローとなる前日にもブルペンに入った。個人トレーナーと年間のトレーニングプログラムを決めている渡辺は、第1ラウンドと第2ラウンドのインターバルにわざと調子を落とすような工夫も行なっていた。

 ダブルエリミネーション方式の今大会では、韓国と最大5度対戦する可能性があった。そのため、渡辺の予選ラウンドでの韓国戦登板はむしろ少なかった。最初の試合ではカーブを1球も使わずに1回を投げきり、第2ラウンド最初の韓国戦でも1回を無失点で切り抜けた。ブルペンにジョーカー的存在の渡辺が控えていたことは、韓国戦を戦い抜くうえでジャパン投手陣の大きな武器となった。

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