【イングランド】アーセナルはなぜ金を使わないのか (2ページ目)
ベンゲルがアルザス地方に生まれたのは1949年。フランスがこの地域をドイツから取り戻して4年後のことだ。両親はドゥトレンハイムという小さな町でカフェを営んでいた。
今のベンゲルは、公の場ではキリリとした風貌をして、厳しそうに見え、ときには怒りをあらわにしたりする。けれども僕が会ったときには、プライベートでは明るくて話好きな人なのだろうという印象だった。カフェでの客あしらいが、知らず知らずのうちに身についているのかもしれない。
1971年にストラスブール大学で経済学の学位を取得したベンゲルは、数学者の頭脳を持っている。数学から彼は「評価」ということを学び、データの重要性を学んだ。他の監督は1500万ポンド(約22億円)という額を「大金」と呼ぶだけだが、ベンゲルは違う。獲得したい選手を品定めするとき、ベンゲルは勝利を求める監督であると同時に、経済学者のように選手の「資産価値」を判断する。
「ケチ」という批判にベンゲルがいちいち反論しない理由のひとつは、アーセナルにやって来た最初のシーズンから高い目標を掲げてきたことだ。時代に取り残されていたイングランドのフットボールを、ベンゲルは大きく変えた。アーセナル伝統の試合前の軽食(ベイクドビーンズとコカコーラだ)を、ベンゲルはすぐにやめさせた。彼は統計も使った。たとえば、選手はどのくらいの時間からスピードが落ちはじめ、いつ交代が必要かを知るためだ。
そして彼は世界のフットボールを知っていた。90年代のイングランド・フットボールは外国のことを知らなかった(外国が嫌いだったというべきかもしれない)。信じがたいことに、ワールドカップを見に行かない監督も決して珍しくなかった。
そんな世界で、ベンゲルには当然ながら勝利がついてきた。当時、若くてうまい選手といえばフランス人だったから、ベンゲルは彼らをかき集めた。パトリック・ビエラ、ティエリ・アンリ、ロベール・ピレスといったスター選手は、「退屈な、退屈なアーセナル」と呼ばれたクラブを、イングランドで最もすばらしく、最もエキサイティングなチームに変えた。
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