1964東京五輪出場選手、チャスラフスカとオシムの共通点

  • 五十嵐和博●撮影 photo by Igarashi Kazuhiro

10月特集 東京オリンピック 1964の栄光、2020の展望 (1)


長田渚左×木村元彦・対談「チャスラフスカとオシム」(前編)

 東京五輪から50年。大会に出場した選手たちはそれぞれ、激動の半世紀を生きることになった。女子体操で個人総合をはじめ3個の金メダルを獲得、「東京五輪の名花」と称えられたベラ・チャスラフスカ(旧チェコスロバキア)。サッカーのユーゴスラビア代表として出場し、日本戦で2ゴールをあげたイビツァ・オシム。東欧出身の2人はその後も、不思議な縁で日本との関わりが続く。『桜色の魂 チャスラフスカはなぜ日本人を50年も愛したのか』を上梓した長田渚左氏と、『オシムの言葉』の著者・木村元彦氏が語り合った。

長田渚左氏(左)と木村元彦氏長田渚左氏(左)と木村元彦氏――オシムさんとチャスラフスカさん。競技は違いますが、似ているところはありますか?

木村 やはり共通しているのは、50年前に日本に来て、オリンピックを体験して親日家になったという点です。オシムは日本人のホスピタリティに感銘を受けて、それが後々、ジェフの監督になるというところにつながっていくわけです。組織的なホスピタリティのみならず、日本人ひとりひとりがすごくもてなしてくれたという印象を語っている。自転車を無料レンタルさせてくれて、英語もよくわからない大男に、たまたま通りすがりの農家のおばさんが「これ、食べなさい」と大きな梨をくれた、と。初めてカラーテレビを見たのも東京だったと言っていましたね。ベラはある意味、もっとすごかったんですよね。

長田 段違い平行棒で大失敗をした翌日、家宝の日本刀を届けてくれた青年がいたんですけど、仙人みたいだと思ったと言ってました。当時は、長くて重い物で、なんだかよくわからないけど、気持ちをもらった、と。日本人が一生懸命オリンピックをやろうとしていた現象の一例だったと思うんですよね。その後何十年かして、それが本当に大事な日本刀だということが彼女にも分かった。日本人も外国の方も、世界中が何かを心に刻むことができた、いいオリンピックだったという気がします。

木村 そしてもうひとつ、その後の東欧情勢が関わってくるのですが、2人とも政治の荒波にもまれながらも、がんとして自らの信じるものを譲らず、圧力に対して屈しなかったというとこですね。

長田 そこはすごく似ています。

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