ラストステージへ。レッズを愛した山田暢久の20年 (3ページ目)
「ロックンロール」には、音楽のジャンルのほか、舞台が揺れる、という意味合いもある。山田のチャント(応援歌)が始まると、まるでロックンロールが流れるライブハウスのようにスタジアムは盛り上がり、ゴール裏は大揺れする。
この応援歌を導入した1992年からのサポーター・猪野政人さんは、山田が浦和で滅私奉公し、観客に有形無形の喜びを提供してくれたことを、チャントを引き合いに出して説明してくれた。
「暢久選手のチャントは、海外クラブのサポーターが歌っているのを聞いた私の兄が、この音程で(山田の)チャントをつくろうと発案し、私がフレーズを考えました。愛されるチャントになるかどうかは、選手の活躍次第。サポーターは愛情を込めて歌っているが、このチャントは暢久選手自身が育ててくれたものでもあります」
12月7日、埼玉スタジアム――。
“その時”が、まもなく訪れる。山田が、赤いユニホームに縫い込まれた、汗と涙の結晶でもある栄光の「背番号6」を脱ぐ日だ。クラブのオフィシャルショップでは、この2週間で6番のレプリカユニフォームはとうに完売となっている。それでもまだ注文が殺到し、携帯ストラップやタオルマフラーなどを求め、店内はファンであふれている。
山田の両親らも藤枝市から観戦に訪れる。父・恵一さんは、「本人は『努力』という言葉が嫌いだが、小さい頃から隠れて努力していた。運が大きいが、努力もあってここまでやれたと思う。20年間楽しませてもらい、会ったら『ありがとう』と言いたい。でも、お疲れさま、ご苦労さまとは言いたくない。これで選手生活が最後とは思いたくないから」としんみり語る。
山田の長男で中学3年生の樹生(たつき)くんは、「もっと(サッカーを)続けてほしい。お父さんがやってくれれば、どこに引っ越してもいい」と父に懇願する。
悩める浦和のシンボル、浦和のバンディエラ(長い期間、同一チームに在籍し、第一線で活躍し続けるプレイヤー)はどう幕引きをするのか。
「最後はみんなで戦って、いい形で終わりたい」
J1通算502試合目、浦和での公式戦726試合目に思いをはせる山田。最終戦は、そんな彼への感謝の気持ちで、埼玉スタジアム全体が包まれ、あの音感のいいチャントがいつまでも響き渡る――。
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