【自転車】片山右京「移籍1年目の窪木一茂が見る五輪の夢」 (3ページ目)

  • 西村章●構成・文 text by Nishimura Akira

「(和歌山は)国体優勝という目標があるので、競技の参戦にはかなりの融通を利かせてもらっています。でも、遠征での留守中は同僚にかなりの負担をかけているから、レースから帰って来たときはそのぶんのやり繰りが大変ですね(笑)。トレーニングも、仕事が終わると急いで原付バイクで帰宅して、すぐに着替えてスタートしないと練習時間を確保できない。自転車に5時間、乗りたくても乗れない……なんていうこともよくありますから。だから、ライトをつけて夜遅くまで乗ったりして、いろいろと工夫をしています」

 トップアスリートの社会人マラソンランナーが練習時間の確保に苦労する様子は、テレビのスポーツニュースなどでも報じられることがあるが、それと同様に社会人自転車ライダーの場合も、高い競技レベルを維持するためには様々な苦労を強いられるようだ。

 それにしても、なぜ和歌山県職員だったのだろう。東日本の福島県出身で、日大自転車部時代から活躍してきた窪木が、関西で公務員の職に就いたことには、かなり突飛な印象もある。しかし、当の窪木にとって、これはある意味で当然の選択だったようだ。

「僕の経歴からいえば、愛三工業レーシングチームに日大自転車部出身の西谷(泰治)先輩や盛(一大)先輩がいるので、おそらくそこに入るのだろうと思われていたみたいです。でも、当時から自分はトラックレースでも少し走れていたので、それも続けたかったんですよ。日本の環境だと、ロードレースチームに所属すると、トラックができなくなってしまう場合が多いのですが、和歌山県は国体やオリンピックに力を入れているということだったので、ロードとトラック双方の練習ができて、なおかつ時間の融通もある程度利いた。それらを考慮した結果、和歌山県庁に籍を置き、ロードについてはマトリックスで走らせてもらうことになりました」

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