集英社雑誌記事

『オシムの言葉』『悪者見参ユーゴスラビアサッカー戦記』などのサッカー関連著書で知られる木村氏の新たなるテーマは、Jリーグのドーピング冤罪事件だった 沖縄出身で初めて日本代表になったサッカー選手、我那覇和樹(がなは・かずき)。2006年には、Jリーグでシュート決定率ナンバーワンに輝き、日本人FWの中でひときわ目立つ存在だった。

 周囲からは、次のW杯には日本の躍進に大いに貢献してくれる選手になるだろうと思われていた。ところが、2007年、突如持ち上がったドーピング疑惑で、その将来は暗転していくことになる。

 我那覇は最終的に国際機関であるスポーツ仲裁裁判所(CAS)で自らの正しさを証明した。彼は、なぜすさまじい逆風をはねのけることができたのか。背景には、利害を超えたところで彼のために動いた人々の奮闘があった。

 彼らの姿と、なぜこのような冤罪が起きたのかを、ノンフィクションライター・木村元彦氏が丹念な取材で描き出したのが本書『争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美(ちゅ)らゴール』だ。

――取材を始めたきっかけはなんだったんですか?

2008年、CASは我那覇のドーピング疑惑を否定します。CASはスポーツ界では世界最高の権威をもつ裁定機関で、出た裁定も妥当なもの。しかし、Jリーグは裁定文を誤訳を交えて紹介した上、妙な解釈を加えてコメントを出しました。なぜこれほど問題がこじれてしまったのか、と思ったのがきっかけです。

――騒動のきっかけは、我那覇が体調を崩してチームドクターから生理食塩水の点滴治療を受けたことでした。それが、知識のないスポーツ紙の記者がにんにく注射と勘違いして記事を作ってしまい、ドーピングではないかと問題になりました。

Jリーグは、そこで我那覇にきちんと確認すればすぐ誤報だとわかったはずでした。しかし、事情聴取ではろくに抗弁の機会を与えず、事実誤認をしたまま我那覇がドーピングしたという流れを作ってしまった。

そればかりか、ドーピングコントロール委員会の委員長は、我那覇の潔白を知りながら故意にドーピング違反に仕立て上げた可能性があります。委員長は最後まで取材を受けようとはしませんでした。彼は、今でも日本スポーツ界の要職に就いています。

――自身の権力欲のために将来有望な選手を葬ろうとしたと。そしてJリーグもチームも、組織として真実を明らかにしようとはしませんでした。

一方で、我那覇を支えた人たちは違いました。例えばJリーグのチームドクターたちは、この処分が通ってしまったら、選手の治療ができなくなってしまうと、自分たちの職を賭してJリーグと対峙します。

弁護士の人たちも冤罪を許してはいけないと、法の番人として立ち上がった。我那覇自身も、当初はJリーグの処分に従うつもりでしたが、このままではほかのアスリートの健康に関わる問題だと知って、CASに訴えます。数千万円の費用を自己負担することを覚悟して。彼らは皆、自分の仕事に対する誇りと矜持から行動したんです。サポーターも選手が不当に貶められるのは許せないと、ボランティアで活動を始めます。

――自己保身のために組織の中でがんじがらめになった人たちと、正しいことのために行動する人のコントラストが際立っていますね。

取材を始めたとき、これがJリーグ内の権力闘争ではないかと少しでも思ったら執筆をやめようと考えていました。しかし、そんなことはまったくなかった。我那覇は最後まで自分の名誉のために戦ったわけではなかったし、医師たちも同様でした。彼らの姿はぜひ多くの人に知ってもらいたいですね。

私はことあるごとに言っています。我那覇があのとき立ち上がらなければ、日本代表の南アW杯のベスト16もなでしこのドイツW杯の優勝もなかったかもしれない、と。その理由はぜひ本書を読んでください。

木村元彦(きむら・ゆきひこ)
1962年生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクションライター。サッカーを軸に旧ユーゴの民族紛争を描いた『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』『悪者見参ユーゴスラビアサッカー戦記』『オシムの言葉』など


『争うは本意ならねど ドーピング冤罪を
晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール』
集英社インターナショナル 1575円

 
2007年5月、川崎フロンターレの我那覇和樹はドーピングを理由に6試合出場停止の制裁を受けた。しかしそれは、ドーピングコントロール委員会の事実誤認によって作られた冤罪だった。なぜそのようなことが起きたのか? 渾身のノンフィクション。

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