世界が注目のレスター。地域のライバルからも無視された弱小の歴史

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper   森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】レスターの街の物語(2)

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前節ウェストハム戦は劇的なドロー。熱狂するキング・パワー・スタジアム(photo by Getty Images)前節ウェストハム戦は劇的なドロー。熱狂するキング・パワー・スタジアム(photo by Getty Images) レスターにやって来たアジア系移民の大半は、フットボールではなくクリケットとともに育っていた。あえてフットボールの試合に出かけたアジア系は、周りから相手にされないおそれもあった。そのころのレスターは、白人労働者階級のクラブと言ってよかった。

「(旧本拠地の)フィルバート・ストリートに行くようになったのは、60年代半ばだ」と、インド系のスリンデル・シャルマは言う。「足が遠のきはじめたのは、70年代の中ごろにスキンヘッドが増えてから。マンチェスター・ユナイテッドのファンがこちらのファンにつばを吐いたのを覚えている」

 相手チームのサポーターは、白人のレスターファンにこんなチャントを投げつけてきた。「おまえらが住んでいるのはリトル・インドだ!」。明らかに侮辱の意図がある言葉だ。しかしレスターのファンのなかにも、イングランドのフットボールでは90年代までふつうに歌われていた人種差別的なチャントを口にする人もいた。

 僕は、カリブ海の国にルーツを持つ肌の黒いサイモン・ウーリーに尋ねてみた。70年代のスタジアムは、あなたにとって快適だった? 「まさか。それでも、行ったけどね。とくに怖かったのは、リーズ・ユナイテッドのようなクラブのファンが来るときだ。怖くて一生懸命に逃げたことも、何度かあった。スタジアムのテラス席(立ち見席)には人種差別があった。ホームのファンからの差別も含めてね。11歳だった僕は『フットボールのファンって、こうなんだ』としか思わなかった」

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