Sareeeが振り返る激動のプロレス人生 「警察を呼ばなくちゃ!」デビュー戦直前のアジャコングの乱闘でパニックになった
WWEから再び日本のリングへ
Sareeeインタビュー 前編
2023年3月、世界最大の米プロレス団体・WWEを契約満了で退団し、日本での活動を再開することを発表した女子プロレスラーSareee。WWEでさまざまな経験を積み、レスラーとして進化した姿を、5月16日の自主興行、東京・新宿FACE「Sareee-ISM」で披露する。
2年ぶりの日本での戦いを控えるSareeeに、幼少期に抱いたプロレスへの憧れやデビュー戦、アジャコングとの死闘、WWE入団までの経緯などを語ってもらった。
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【小学1年生で「プロレスラーになる」】
――Sareee選手がプロレスを知ったキッカケを教えていただけますか?
Sareee:父がアントニオ猪木さんの大ファンで、当たり前のようにテレビやDVDでプロレスを観ていました。私自身が興味を抱いたのは小学1年の時。たまたまプロレス会場を通りかかって試合を見たのがキッカケです。初めて見た瞬間に「あ、これをやりたい!」と。その時から「プロレスラーになる」と決めていました。
――初志貫徹ですね。子供の頃は何かスポーツをしていましたか?
Sareee:小学5年生までは特に何もやっていなかったんです。今思うと、「なんで柔道とかレスリングをやってこなかったんだろう」ってすごく後悔してます。代わりに、父を相手にプロレスごっこをしてましたけどね(笑)。
その後、小学6年から中学卒業までは、体力作りを兼ねてバレーボールを続けていました。
――中学を卒業して、すぐプロレスの世界に飛び込みましたね。
Sareee:小さい頃からNEO女子プロレス(以下 NEO)を観戦していたので、「プロレスをやるならNEO」と決めていました。それで中学3年生の時に、2010年5月5日の後楽園大会でNEOの社長に「入門を直談判しよう」と思ったんですが......その大会でNEOが解散することを発表して。「そんな......『NEOに入ってプロレスやる』って決めていたのに」と落ち込みました。
途方に暮れていた時、NEOを退団した井上京子さんから「新団体旗揚げするから一緒にやらないか」と連絡をいただいたんです。私がプロレスを見ていることを知っていて、やりたいと思っていることもわかってくれていた京子さんが連絡してくれて、ふたつ返事で「やります!」と。それで、京子さんと私の2人でスタートしたのが「ディアナ」です。
――中学3年生にして、井上選手と二人三脚でプロレス人生が始まったんですね。
Sareee:NEOの解散発表後、神奈川県の綱島の道場で京子さんに指導してもらいました。私の地元である東京都の板橋から綱島駅まで片道約1時間半、電車とバスを乗り継いで毎日通いましたね。同じ時期、アニマル浜口ジムも通っていました。セーラー服で(笑)。
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