シドニー五輪テコンドー銅メダリスト・岡本依子の悲愴な願い (4ページ目)
――東日本大震災関連の取材でも思いますが、頑張っている人に頑張ってと言うのは、かなり控えるべき行為です。かなりきつかったのではないでしょうか。
「『テコンドーはマイナーやけど頑張ってね』とか言われるのもつらかったです。知っとるわ!って(笑)。それもわかって頑張ってきたし、自分でやりたいからやっているだけなのに。悲しいことに当時は競技団体が選手のためではない別の理由のために存在していたと思うんですよ。自分も引退したので、これからは少しでも選手のためになるようなことができたらと思います。テコンドーをやったら不幸になる、なんて子どもたちに思われたら悲しいじゃないですか。そうならないためにも頑張りたいですね」
インタビューが終わると岡本はひとりの選手を紹介する。
「まゆちゃんです。才能があって、私、めっちゃファンなんです。キレがあるし、スピードもすごい」
ロンドン五輪代表の濱田真由19歳であった。宝物を開示するかのような口ぶりに、後進には自分のような思いをさせたくないという思いがしんと伝わって来た。
「組織は常にいい様に改善していかんと、ほんまに時代に取り残されると思うんです。ましてやスポーツってみんなが平等に夢を見て行ける場所なので。最初に全日本テコンドー協会がそれを意識していけたらなぁって。いい協会やなって言われるような、そんな協会にしたいですよね」
3年ほど前だろうか。イビツァ・オシムにボスニアで会った際、こんなことを言われた。
「今、サラエボで最も人気のあるスポーツを知っているか? テコンドーだ。特に子どもたちが勇んで通っている。サッカーでいうジュニアユースの世代にはポピュラーな競技となっている。至るところテコンドーの道場だらけで空手や柔道よりも競技人口は多い。なかなか面白い現象だろ?」
サラエボのテコンドー団体がWTFなのかITFなのか聞き忘れたが、華麗な足技に民族紛争で断絶を強いられたあのサラエボ市民が魅かれて熱中しているという事実に、大きな興味をそそられたものである。特に同じ学校に通いながらも民族ごとに入り口が異なって隔離され、一緒に遊ぶことも制限される子どもたちが、ひとつの道場で汗を流して互いに交わることができているのならば、テコンドーが民族融和を促進するひとつのツールになりえているのではないか。
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