「伊達公子記念日」に振り返る、1994年・メルボルンの奇跡の裏側

  • 内田暁●文 text by Uchida Akatsuki photo by Getty Images

 1月13日に開幕した2014年全豪オープンの女子決勝戦は、現地時間の1月25日、ドミニカ・チブルコバ(スロバキア)と李娜(リー・ナ/中国)の間で争われる。「グランドスラム優勝」の栄誉を求め、灼熱のメルボルンに世界各地から集ったトッププレイヤーの数は128人。その頂点に立つたったひとりが、この一戦で決まることになる。

 今からちょうど、20年前の1月25日――。その日は全豪オープンの準々決勝にあたり、やはり128人いた参戦選手が、わずか4人にまで絞られた日であった。

グランドスラムでアジア人女子選手として史上初のベスト4に進出した伊達公子グランドスラムでアジア人女子選手として史上初のベスト4に進出した伊達公子 ベスト4進出者のリストには、ときの絶対女王シュテフィ・グラフ(ドイツ)に、世界ランキング2位のアランチャ・サンチェス(スペイン)、さらには美貌と豪快なテニスで絶大な人気を誇ったガブリエラ・サバティーニ(アルゼンチン)という、錚々たるメンバーが名を連ねた。

 その中に、極東の島国から日の出の勢いで駆けあがり、アジア人女子選手として初めて、グランドスラム準決勝進出の快挙を成した選手がいる。163センチと小柄ながらも、ボールの跳ね際を叩く「ライジングショット」で世界の強豪たちを手玉に取った選手の名は、「Kimiko Date」。世界のメディアは、日出(い)づる国から現れたテニス界の新たなスターに、「ライジング・サン」のニックネームを与えた。

 伊達がベスト4に勝ち上がったこの1994年全豪オープンには、彼女以外にも4人の日本人選手が出場している。その内のひとりに、伊達より1歳年下の神尾米氏がいた。1995年に世界ランキング24位に達し、現在は解説者としても活躍する神尾氏は、「伊達さんの背中をずっと追ってきた」と認めるほどに、彼女の存在を大きく感じていたと言う。

「あの身体で、どうして世界で戦えるのかというのを、お手本にしようとしていた」

 そう当時を振り返る神尾氏が、伊達に向けていた視線は鋭い。神尾氏が見る伊達の強さの秘密は、やはり彼女の代名詞である「ライジングショット」にある。

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