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【男子バレー】Vリーグ創設と松平康隆が最後に見た夢 (3ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 築田純/アフロスポーツ●写真 photo by Tsukida Jun/AFLOSPORTS

 Vリーグのその後の歩みであるが、松平たちの思惑とは別に、チーム事情によってプロ化するクラブが生まれた。

 1999年6月には廃部した女子チームの東芝シーガルズを母体に、日本バレー界初のクラブチーム・シーガルズが誕生。2000年12月には、男子チームの新日鉄ブレイザーズが廃部を検討され、小田が存続のために奔走したのちに法人化。株式会社ブレイザーズスポーツクラブが設立され、男子初のプロチーム・堺ブレイザーズとなった。積極的に地域密着活動を行い、Jリーグ的運営を目指すチームとなった。そう、あれほどプロ化に反対していた小田勝美が副部長を務めていた新日鐵バレーボール部がプロ化したのである。

 小田が最初に松平に自身のチームのプロ化を報告したとき、松平は「バレー部だけなのか。野球やラグビーは一緒ではないのか」とだけ言った。小田はこう振り返る。「この時の一言に表れているように、非常に先見性のある方でした。今から思えば、松平さんの言うことは正しかった。企業スポーツは袋小路です。きっとこれからはクラブチームがどんどん増えてくることでしょう。選手にとっても、やる気と夢を与えられる方法だと思います」

 余談だが、松平は自分がこれと見定めた選手を育成するために、所属チームに無理を言って、勝敗より育成のために、レギュラーで出場させ続け、自身は解説でその選手を褒めまくった。その陰で、もちろん割を食った選手もいた。小田も実はその一人だった。

「お袋が、『勝美ちゃんの試合見るとき、松平さんが解説やったら音消して見るのよ』と言うんよ。それくらい私は松平さんには好かれていなかった。お袋のその言葉を聞いたときは、『くそ!松平さんめ!』と思ったもんよ。それが、堺ブレイザーズをプロ化してから、ずいぶん態度が変わって可愛がってもらえるようになった。ホームゲームに足を運んでもらったり、一緒にお食事させてもらったり」

 小田が堺ブレイザーズを興すにあたって、松平はくどいほどに念を押したという。「小田よ、やるに当たっては、やりがいと、誇りとお金を選手に与えてやってくれ」 

 要するに、選手重視のプロチーム立ち上げにしてくれと言われたのだと小田は理解している。

「表舞台を引退してからも、松平さんは日本バレー界のシンボルのようなお人やった。これから、松平さんのような考え方と動きができるような人材が出てくることを祈るのみや」

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